築堤

  ▶ 児島湾干拓の1区から8区の位置と堤防輪郭

 ここをクリックすると、干拓区域の地図にリンクします

 ・この時点では1区と2区は完成してます

 ・2区は藤田農場があり、後の藤田村(そん)で、かっては養魚場があった

 ・4区と8区は計画中止になった

 ・このHPに出てくる工事写真は3、5、6、7区のものです


  ▶ 児島湾干拓の堤防写真

築堤1
築堤1
築堤2
築堤2
築堤3
築堤3
築堤4
築堤4

写真の著作権は岡山県立興陽高等学校に有ります・無断使用禁止


 ▶ 毛利新田の地図

 ・明治22/23(1889/1890)年頃の地図とあるが、柳生川堤防がないので、地図は明治22年と思われる

 ・新田内に用悪水路がまだ無く、樋門が無いように見えるが、柳生川の先に水の流れの地形が見える

 ・後の五間川、七間川が十間川、二十間川へと流れるが、神野新田も引き継ぐことになる 


 ▶ 毛利新田神野新田の満潮時の潮位


 ▶ 毛利新田の堤防(作業中の写真は無い)


 ▶ 神野新田の堤防


 ▶ 神野新田の堤防写真(工事中の写真は無い、台風13号の復旧写真を含む)


 ▶ 神野新田の堤防目塗(写真のコメント参照)

 ・自然石の隙間に詰めた人造石の劣化防止で、人造石の表面を定期的にセメントで目塗した。

 ・神野新田の堤防完成後から堤防補強のためコンクリートで堤防全体を包む工事が完成する昭和

  38年まで、目塗は70年間続けられた。