新暦と旧暦と潮の関係(澪留日の潮の検証)
「神野金之助重行」や「神野三郎伝」には「澪留が大落潮の干潮時に行われた」と書かれているが、「神野新田記事」には潮の記述は無い。実際の澪留は、小潮時期の干潮から満ち潮になる時間帯に行なわれいた。

 ▶ 大落潮とは(潮止に適した時期とあるが?

  ・大落潮というキーワードではグーグル他でもヒットしないが、落潮はヒットし「引き潮」、

   「干潮」「おちしお」とあり、大が付くと大潮のだと考えられる

  ・しかし、毛利新田も神野新田も澪留は、ほとんど小潮時期に行われている

  ・したがって、神野新田の澪留工事が大潮時だったことはウソだったことになる


 ▶ 毛利新田神野新田の澪留日の旧暦と潮(計画は7日と8日である)

 イベント       新暦           旧暦         潮

 ①毛利新田1次澪留  1889年  7月  5日(金) 1889年  6月  8日  小潮の中日(計画通り

 ②毛利新田2次澪留  1889年  7月  7日(日) 1889年  6月10日  長潮(リカバリー)

 ③毛利新田3次澪留  1889年11月14日(木) 1889年10月12日  中潮の初日(リカバリー)

 ④毛利新田4次澪留  1889年12月  3日(火) 1889年11月11日  若潮(リカバリー)

 ⑤神野新田1次澪留  1893年  9月16日(土) 1893年  8月  7日   小潮の初日(計画通り

 ⑥神野新田2次澪留  1893年  9月17日(日) 1893年  8月  8日   小潮の中日(計画通り)


 ▶ 旧暦と潮の関係表

旧暦と潮(大潮・中潮・小潮・長潮・若潮)の関係と潮の説明

大潮   潮の干満差の大きい状態で、新月(旧暦の1日頃)や満月(旧暦の15日頃)の前後数日間。 

中潮   大潮と小潮の間の期間で、旧暦の3~6日、12~13日、18~21、及び27~28日頃。

小潮   潮の干満差の小さい状態で、月の形状が半月になる上弦(旧暦の8日頃)や下弦(旧暦の22日頃)の

     前後数日間。 

長潮     上弦、下弦を1~2日過ぎた頃、干満差が一段と小さくなり、満潮・干潮の変化がゆるやかでだらだらと

             長く続くように見える小潮末期(旧暦の10日と25日)。 

若潮      小潮末期の「長潮」を境に大潮に向かって、潮の干満差が次第に大きくなってきます。このように潮が

              再び大きくなる状態を「潮が若返る」と言い、長潮の翌日を「若潮」と呼ぶ。


 ▶ 新暦から旧暦への計算ツール

 ・ここをクリックすると計算サイトにリンクします

 ・日本は太陽暦が明治6年に採用される以前は、月の満ち欠けをもとに季節をあらわす太陽の

  動きを加味した「太陰太陽暦」が使われていました。

 ・太陰太陽暦は一般には「旧暦」と呼んでいます。

 ・旧暦を含む太陰太陽暦では、月が新月になる日を月の始まりと考え、各月の1日としました。

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