印半纏(しるしばんてん)

▶ 服部組の袢纏(明治26年頃)

・左画像クリックで神野新田物語のユーチューブにリンク

・中央の服部長七役が着ているのが服部組の袢纏なので動画を

 再現して眺めてください

・袢纏は宇品港工事の資料を基に再現とのこと

 (ひとすじの会の幹部よりの情報)

・袢纏の海老色は一般的な藍との区別で、たぶんこの色と思う

・神野・富田の


▶ 神野・富田両家の袢纏(昭和の頃)

 ・神野新田イの割出身の森清治郎画伯は昭和初期の父、清一氏のいでたちを書いている

  (清一氏は初代金之助翁と同村の江西出身で、長男ながら神野新田工事に初期から従事した)

 ・昭和の初め頃のいでたちは「襟に白い字で神野新田と染め抜き、背中に白い丸にモミヂの紋の紺地の

  印ばんてん」と書かれている

 ・紅葉の紋は紅葉屋(神野富田両家)を意味していると思われる

 ・しかし、神野新田と呼ばれる前の開拓当時は襟には何と書かれていたか興味が湧く

  (新田工事当時は「神富殖産」の前身の「神野本店・分店」があり、観音様も「神野本店・分店」の名で

   寄進されている)

 ・ここの紅葉のデザインは圓龍寺の旧鬼瓦の紋を参考にしました