毛利新田の譲渡

▶ 毛利新田譲渡の経緯

 ・毛利新田の購入にあたり、神野金之助は父の金平と服部長七と現地視察しているが、満潮時で堤防の

  片鱗も見えず、金平が手付金を捨ててもやめるべきと話した

 ・服部長七が金平を豊川稲荷に誘い、その後干潮時に再度現場見せに戻り、干潟と堤防の残骸を見せて

  金平を説得したことで、金平のOKが出た

 ・毛利新田の譲渡契約は明治26年4月15日正式契約した

 ・その日の夕方に契約締結の祝い中に二回新田の樋門が破損して二回新田が浸水したとあるが、二回新田は

  明治25年の暴風雨でも堤防が耐えて残っていたことになる


▶ 毛利新田の視察をした場所を平面地図から推測する

 ・東明治新田の西南の角なら新田全体が見渡せられる


▶ 東明治新田から毛利新田の視察をした場合の鳥観図

 ・東明治新田の西南の角からは二回新田もよく見える


▶ 東明治新田/新田事務所と豊橋駅との距離

 ・神野金平と服部長七が豊川稲荷参拝後に豊橋駅から一里(4Km)歩き、毛利新田を視察したとある

 ・下は現在のグーグル地図だが、東明治新田の西南角は3.9Kmと約4Kmと書籍通り

 ・ちなみに新田事務所迄は、3.3Km(ここからは明治新田が陰になり4号上部と5号が見えない)

 ・神野三郎翁は築堤工事の時は毎日明治新田から船で渡ったと述べている、地の利が良かったのでしょう

豊橋駅から東明治新田の西南角(3.9Km)

豊橋駅から新田事務所(3.3Km)