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▶ 潮止(澪留)とは
・干潟では干満の潮の流れが集中し、深くえぐれた場所を澪(みお)と呼ぶ。
・築堤は干満で澪に集中する潮流で破損されないよう、まずは澪を避けて堤防を造っていく。
・最後に残った澪部分を締切るのを一般的には潮止、愛知県では澪留と呼ぶ。
・潮止は昔は澪部分を止めるため、愛知県では澪留と呼ぶようになったと思われる。
・最近は、澪は関係なしに長い距離を一気に潮止(諫早湾のギロチンなど)めする。
・奥まった所に位置して潮の流れが遅いためか、児島湾の工事期間は5日位と書かれている。
・三河湾に面しており潮の流れが速いためか、毛利新田(神野新田)の澪留は数時間と短い。
▶ 現代の潮止(澪留)状況は
・カメラアイコンをクリックすると別窓で画像が出ます。
・諫早と笠岡は建設機械、材料など大型化・近代化となり、締め切りが力業となっている。
・下の県名、完成年をクリックすると説明ページにリンクします。
写真の著作権は 県名、完成年 のリンク先に有ります・無断使用禁止
▶ 児島湾干拓地の潮止(澪留)の写真
・戦前の3区5区6区7区あたりの工事写真(ほぼ人力)です。
・神野新田なら木枠の高さが、もっと高い必要があると思われます。
・後期は5日位とあるが児島湾が奥まった位置にあり、潮の流れが遅く潮止に負担がかからず
のんびりした工事日程だと推測する。
写真の著作権は岡山県立興陽高等学校に有ります・無断使用禁止
▶ 児島湾干拓地の潮止(澪留)の動画
・昭和26年~29年の児島湖締め切り(潮止)の工事動画(ほぼ人力)です。
・神野新田なら木枠の高さが、もっと高い必要があると思われます。
・動画は潮止工事が映っているのは 2:02~2:17 です(再生は2:02から始まります)
・下の動画からも斜めの木枠側(左側)が海側だと判断できます。
・後期は5日位とあるが児島湾が奥まった位置にあり、潮の流れが遅く潮止に負担がかからず
のんびりした工事日程だと推測する。
▶ 神野新田の澪留を想像させる五号樋門の解体
・下の写真は大正7年に人造石樋門の劣化具合を確認するために解体した五号樋門の写真。
・調査の結果は劣化は無く百点満点だった。
・神野新田(毛利新田)の澪留の写真は残ってないが、こののように大がかりであったと推測。
▶ 三池港の潮止の写真(堤防の高さから神野新田の澪留風景に近いと思う)
・左のカメラマークをクリックで写真にリンクします
・炭坑節で有名な三池港の潮止の明治37年5月撮影の写真
・児島湾干拓は堤防が低いが、三池港の堤防は神野新田と同じ位で
参考になりそう