・神野新田開拓の大工事を短期間に完遂のためには、服部組は人造石に特化しているはず
・石や砂袋の積上げや用水堀り等の作業は、実績のある土木業者が担当したと考えるのが妥当である
・実績のある土木業者が近隣住民を雇って作業員を確保し、短期間での工事を成したと思われる
・毛利新田の工事から働いていた可能性があると考える
・現時点で判明している高取卯之助や佐藤栄九郎以外の土木業者も従事していたと考えるのが妥当でしょう
▶ 神野新田の工事規模(平均5千人/日)・・・神野新田より
▶ 神野新田の開拓工事を実施したと判明している土木業者(親方)
・高取卯之助は「神野新田紀事」に出ており、他の書籍にも引用されている
・佐藤栄九郎は「牟呂新田」を閲覧にて偶然発見した
▶ 明治10年代に入鹿池の復旧工事を請け負っている
・明治元年に犬山の現在の明治村の東の入鹿池の堤防が破損し941名の死者が出る大災害が発生
・日本で1番大きなため池は香川県の満濃池で、入鹿池は2番目の大きさ
佐藤栄九郎
佐藤栄九郎
左上の拡大が下です